去りゆく秋を「奥多摩むかし道」で惜しむ

           ~11月24日(火)実施~

 

山笑(やまにこ)会では、コロナ禍対策として、募集人数を20名程度に抑えており、今回も24名まで受け付けた。その後感染者数急増の影響もあり、8名のキャンセルが出て16名となったが、初めての方の応募も多数あり、易しいコースを取り入れた甲斐はあったようだ。

 

考えてみると、「奥多摩むかし道」は、山笑(やまにこ)会の年間24回実施のハイキングの中では、もっともコース定数が小さいのではないだろうか。帰りに寄った玉翠荘の休憩室では、「今日は山じゃないからね」という声のかたわら、「先日は塔ノ岳に行ったからね~」という声が聞こえた。達成感がないという一方で、「時間を気にしないのんびりハイクもたまにはいいね」という声があった。それでもコースが簡単すぎるのではないかと、幹事が「みはらしの丘」を追加して、紅葉とダムの大展望を得たのは大正解だった。

 

 今回も話題が多かった。年度当初から、この企画の幹事は廣川だった。ところが残念ながら本番までに膝の病状(怪我ではない)回復ならず、稲葉が代行幹事をすることとなった。廣川はガールスカウトの経験で水根に詳しく、稲葉は若い頃に小河内ダムにいたことがあって、現地に詳しいのである。相談しながら、本番の日を迎えた。

 

 24日は、武蔵五日市線で人身事故があって電車が遅れたが幸いなことにわれわれの集合時間には影響がなく、事前の呼びかけ通り810分に全員が集まった。バス停で受付中、西東京バスの担当者が寄ってきて、「全員揃っていたら臨時バスを出しましょうか?」というではないか。否応はない。人数を数えて予定より20分以上早く820分にバスに乗った。835分には奥多摩湖に着き、先ずみなさんにトイレに行っていただいた。それから開校式。

 

 

 プログラムには書いていないが、廣川幹事の懇願を受け、ここで稲葉代行幹事が小河内ダムと奥多摩湖について解説をさせていただいた。実は、稲葉は26歳から27歳の半ばまで奥多摩湖取水設備築造工事に携わっていたのだ。毎日、奥多摩湖と小河内ダムを見ていたので、すべてのデータが今でも頭に入っている。「水と緑のふれあい館」から湖に突きだしている突堤のようなものの工事だ。あまり熱を込めないようにさらっとお話させていただいた。


       ダムの見学           幹事代行の工事の話を聞く          みはらしの丘にて

 それから2班に分かれて、出発した。まず、「みはらしの丘」に登る。八方岩まで約25分かかる。本日最大の登りである。途中に、イロハモミジが紅葉しているのだが、すでに散っているものもあれば、まだしぶとく魅せてくれるモミジもある。段々、標高をかせぎ八方岩のベンチまで着くと、奥多摩湖、小河内ダム、紅葉、御前山といった大展望がご褒美なのだ。曇りの予報だったが、この日の奥多摩湖方面は晴れだった。「楽なハイキング」でいきなり登らされてご不満の方もいたかも知れないが、この展望を見れば不満は消し飛ぶに違いない。みなさん、めいめいのアングルで写真を撮り、水根に下った。この八方岩展望台は、「奥多摩むかし道」には入ってない。あくまでも廣川幹事のアイディアで追加したのだ。つづら折れの道を下ると滝の轟音が聞こえ始め水根沢に沿う道に出る。さすがにこの日の一行は、列が長くならない。

 

 一番下から少し沢沿いを歩く。水根沢は沢登りの場所だ。夏キャンプの頃には流水の中の岩で必死に咲くイワタバコが見られるそうだ。上の方にはキャンプ場があり、廣川幹事の縁深い場所でもある。橋を渡って対岸に行き、少し歩くと「むかし道」の入口だ。緩い坂を登っていくと、先に「青目不動尊」があって、ずっと以前は「休憩所」をやっていて、ソバなども食べることができた。それからソバは止めて、「YAMA CAFE」なるものをやっていたようだが、それも昨年で休止したようだ。従って、今では入れない。絶好の小河内ダムの展望台だったのだ。奥多摩駅からむかし道をたどり、青目不動尊休憩所の座敷に座りビールを飲んでソバを食べて頃が懐かしい。そういう話をして、みなさん

を残念がらせて通過した。

 

 さらに下るとタキノリ沢に出る。この付近はイワタバコがたくさん咲く場所だが、残念ながら7月末に来たことがない。右手には紅葉とダムの余水吐き、ダム本体、奥多摩湖が見える。なかなかの景色なのだ。この眺めを最初に見るか最後に見るかが「奥多摩むかし道」のポイントなのだ。最初に楽しむと最後には、奥多摩駅付近でのお楽しみが待っているし、何より下りなのだ。最後に取っておくと、ダムがドーン見えて感激するのだが、お楽しみは「水と緑のふれあい館」しかない。右手の風景を楽しみながら歩くと、浅間(せんげん)神社が出てきて、そこから下り始める。ダムが真正面に見える場所に出る。ちょうど正面に見える舗装された広場で、代行幹事は1年半暮らしたのだ。毎日、山ならぬダムが頭上に見えていた。そのことはみなさんに伝えなかった、あまりにも思い出が圧倒的すぎる。当時を思い出しながら先を歩いた。

 

 

 もう少し下ると舗装道路に出る。ここが西久保の切り返しだ。切り返しを曲がって進むと、その先にテーブルが2基あって、仮設の町営トイレがある。残念ながらこの日はトイレは使用禁止だった。一応、バイオ処理のエコトイレなのだ。めいめいベンチに座ったり、シートを広げて座ったりして休憩した。少し早いが、他に大勢が休める場所がないので、ここで昼食したのだ。頭の上にはイロハモミジがあるのだが、まだ紅葉の色が浅かった。平日だが、反対側から、オートバイ、ハイカーなどが紅葉の写真を撮りにきていた。下見の時には、ここで山笑(やまにこ)会にも来られる方を含む一団と遭遇して挨拶をされ驚いた。


     西久保切り返しで休憩          しだくら橋を渡る・・・・        ゆずの無人販売につかまる

 しばらく歩くと、吊り橋が出てくる。道所(どうしょ)橋という。入り口に「3人以上で渡らないで下さい」とあって、別のところに「一度に渡れるのは2人まで」と書いてある。算数の試験をするわけじゃないが、2人までが正解だから、1班8人のわれわれは全員渡るのに結構時間がかかる。全員16人で10分見込んでいたが、どうやら1315分かかったようだ。他のハイカーがいなくて良かった。道所橋を先に渡った稲葉班は、次に川合玉堂の歌碑が出てくるので、そこにあるベンチで時間調整をして、「しだくら橋」には小野班に先に行っていただくことにした。川合玉堂の歌碑は変体仮名を交えて書かれていて、普通は読めない。幹事も予習をしてきてみなさんに解説した。ベンチに座り、幹事作成のカボチャのタネアートをご披露し差し上げた。お褒めいただいて望外の喜びである。とやっていると小野班がやって来て先に行ったはいいが、みんな民家の庭先の無人「ゆず」販売店につかまっている。

 

 虫歯地蔵、牛頭(ごず)観音、馬の水飲み場、縁結び地蔵と出てくるが、奥多摩町教育委員会が書いた看板を読んだら通過するだけで時間もかからない。傑作だったのは、今回は縁結び地蔵の前に「二股大根」が置いてあったことだろう。そして「しだくら橋」に着いた。小野班は先に渡っていた。橋を見ると中程に高齢男性お二人が写真を撮っていてなかなか歩いてこない。「オーイ」と声をかけて手を振ってやっと戻って来ると「3人、同時に渡っていいんだよ」といっていた。実はしだくら橋の方が眺めがいいと思う。厳道の馬頭様、惣岳の不動尊と過ぎる。惣岳の不動尊の前に町のトイレがある。ここのトイレも立派だった、もちろんシャワートイレである。やがて行くと、下見では視線のずっと先に立派なイチョウの黄葉があったのだが、すべて散っていたが散りイチョウもまた良いものだ。やがて、民家が出てきて下見でも本番でも民家の女将さんと話をした。民家の先に、「いろは楓の巨樹」がある。下見では、盛りを過ぎたような紅葉の色だったのだが、なんとこの日は見事な紅葉だった。写真をご覧いただきたい。

 

 その先は、耳神様がある。そして「弁慶の腕ぬき岩」がある。人の背丈ほどの岩で、身も蓋もないが何の変哲もない岩だ。しかし、写真に撮ると迫力がある。要は宣伝の仕方なのだろう。そこから少し歩くと「白髭(しらひげ)神社」がある。巨岩信仰だそうで、看板によると秩父古生層の石灰岩層が神社の上に逆層で被さっている。付言すると秩父古生層というのは、関東地方の基盤をなす岩盤で珍しいものではない。

 

 

ここの先には、右下に境橋が見える。ここから奥多摩駅までは国道411号線を歩いて30分ほどなのだ。もう少し歩くと、古いレール道が見える。このトロッコの道は、ダム建設の時代に資材運搬に使った軌道だ。ダム建設時代、殉職者が87名に上ったのだが、ほとんどが、この資材搬時の事故で亡くなったのだ。幹事代行は、この現場にいた頃、現場の休みの日は独身者が交代で軌道の巡視を行っていた。TBM(トンネルボーリングマシン)を動かず高圧電源ケーブルが軌道に沿って設置されていて、その銅線を盗む輩を監視するためだった。マムシもいてそれなりに緊張した時代を思い出した。


 イロハモミジの巨樹は紅葉真っ盛り         小中沢橋で休憩          小中沢橋で全員、集合!

 小野班は、右下に「境の源泉」を見に行った。作戦をしたわけではないのだが、まっすぐ進んだ稲葉班とここで順序は元に戻った。なかなか小野班長も考えている。小中沢橋に着き、休憩した。ここではすでに陽が陰り始めていた。場所の確認をする方もいた。幹事もトイレを使ったのだが、あまりのきれいさに感嘆した。奥多摩町の苦労に感謝しよう。ここからは、小1時間で奥多摩駅に着く。まず、大きなゆるやかなカーブの道を歩く。アカメガシワが目立つ。橋詰バス停の前で階段を上がる。暑い時期はこの階段もきつい。上まで上がり右に下るのだが、地図には(迷)と記載してある。奥多摩駅から来ると迷いや

すい。一度下って、また少し上がって歩く。そして(槐木~さいかちぎ~)への登りになる。何ともない登りなのだが、最後の登りはきついようだ。今回は全員、問題なく槐木に到着した。これで終了と思っていいだろう。

 

 折角なのでサポニンとせっけんの関係を説明しておいた。誰もきれいなトイレは使わず先に進んだ。三田羽黒坂は通過、そして順調に「むかし道」の入り口に到着した。940分に出発、1340分到着だった。南2丁目バス停で「三河屋旅館」についてガイド、幹事はここも詳しいのだ。手前の飲食店ヘムロックも詳しい。先に進むと「日本山岳会多摩支部」がある。多摩支部は「奥多摩47コース」を公表している。奥多摩警察署の前に全員集合した。まっすぐ帰宅する方には、柳小路を進んで駅まで行くことを勧めた。

 

 

残りの方は、玉翠荘に向かった。この日、幹事は、45年間で初めて玉翠荘で女性用の風呂に入った。不思議な建物なのだ、入ると風呂には階段を降りていく。地下なのだが、地下ではない。入ったことのない女性用の風呂の前に着くと、バーがあった。これも初めて見た。風呂から上がって、「地上」の休憩室でビールを飲んだ。この部屋の眺めがいいのだ。そんなこんなで幹事の当初の目的は達成できたハイキングだった。幹事の企画に感謝する。参加して下さったみなさんに感謝したい。

 

【参加人数】参加者16名(キャンセル8名)、スタッフ2

【スタッフ】幹事:廣川 妙子、幹事代行:稲葉 力、スタッフ:小野 梨香

      下見には、久保 雅春、古谷 一祐が参加。

 

【報告者】稲葉 力


       奥多摩湖と取水庭                水根沢を歩く         むかし道を歩く(いずれも鈴木さんご提供)