今熊山遙拝殿、戸倉三山刈寄山、意外が金剛の滝、古刹を巡って武蔵五日市に戻り、「柳屋」で楽しんだ初詣ハイキング!

 

(本番までの長い経緯)

 

 幹事が所属する山岳会では、毎年1月には初詣山行と称する山行を実施している。どこか初詣できる神社のある山を探し、麓の宿に泊まり、懇親を深めるのだ。幹事は1月と聞くとその線で考える習慣となっており、企画担当としては昨年同様、御岳山、日の出山~つるつる温泉のコースとし、つるつる温泉でこれまた昨年同様、軽く新年会をやろうと考えていたのだ。しかし、悪い癖で2年続けて同じことをやりたくないのだ。御岳山も日の出山も何度も行っているので、日の出山に別ルートから登ろうかと思っても山笑(やまにこ)プラスではないのでためらいがあった。ましてや、山笑(やまにこ)プラスでは110日に筑波山で初詣ハイキングを行っているのだ。詰まらない企画では見劣りするではないか。

 

 

 2019年の9月頃だろうか、奥多摩の地図を眺めながら今熊神社に目をつけた。一度だけ行ったことがあって、そのときは今熊山~刈寄山~市道山~臼杵山と縦走したのだ。山笑(やまにこ)会の参加するメンバーを考えて、今熊山~刈寄山~今熊山の往復としよう。さて、下山はどうするか。これまた初めて「金剛の滝」に目が向いたのだ。小さな滝だがハイキングのアクセントとなるだろう。今熊山登山口バス停に下りて、バスに乗って武蔵五日市駅に戻ろう。新年会の会場は「柳屋」にしよう。そうなると実施予定日の28日は火曜日で柳屋の定休だから、スタッフと相談して29日にしよう。予備日は30日がいいだろうと決めた。

 さらに調査を続けると、日本山岳会多摩支部が作成している、「多摩100山」なるデータがあることがわかった。多摩100山を45コースで登るコースまで設定されていた。この中の「今熊山・刈寄山コース」を見ると、刈寄山から沢戸橋方面に下っていることがわかった。「山と高原地図」には「荒れている」と表記がある。日本山岳会の資料には「荒れているが全く問題なく下ることができる」とあった。これでひらめいて沢戸橋に下ってみようと考えたのである。沢戸橋からバスに乗らずに歩いて東町バス停まで行き、しばらく休業している「魚鶴」の様子を見るつもりだった。

 

 

 1012日に台風19号が来て大被害をもたらしたのはご記憶だろう。わたしは1016日に下々見に行ったのである。武蔵五日市駅でバスに乗り今熊神社まで歩くと道路の脇の沢は大増水している。20分ほど歩いて今熊神社遥拝殿に着くと被害はない。標高も低いので30分ほどで今熊山山頂に着く。ここが本殿である。すぐに刈寄山に向かった。割と狭い稜線を歩いて行く、刈寄山も標高が低いので大したアルバイトではないのだが、最後の登りは結構登りでがある。そして刈寄山の山頂なのだが、その直前に沢戸橋への分岐があって、分岐の道標には大きく「斜面崩壊により通行禁止」となっているではないか。荒れているなんて問題ではないのだ。これであっさりあきらめて、刈寄山山頂で昼食を食べて、今熊山に戻り、このときは金剛の滝を鑑賞して今熊山登山口バス停に戻ることに決めたのだ。

刈寄山での集合写真(稲葉班)

刈寄山での集合写真(廣川班)


 今熊山から金剛の滝へは山道を20分ほど下ると山道から滝への下降点に至る。山道は台風の被害を受けてなかった。下降点からは急階段を下るのだが、その入り口に「雨が降っているとき、大雨後は危険なので入らないこと」と書かれていた。大雨後の状況なのかも知れなかった。この急階段は下った後に、もう一度登り返すのが嫌になる思いをもたせる階段だ。わずか5分ほどで下り切る。すると右手から砂防ダムを越えて流れてくる沢が増水しており、河床には泥が堆積していた。しかし、登山靴でかろうじて渡れるのだ。渡った先の木の枝に東京都のレンジャーが下げた「金剛の滝」の矢印があった。河床を歩いて行くと木橋があって渡れる。渡った先の左側に小さな滝があった。目を疑った。「え、これが金剛の滝、嘘だろう」と思ったのだ。おかしいと思って周囲を見ると滝の右側に丸い洞窟があった。これは何だと思って入ると壁に鎖がある。少し登ると出口はほとんど流木で塞がれていたが、体を出すことができて正面にはまずまず見応えのある滝があったのだ。こちらが雄滝でさきほどの小さな滝は雌滝だそうだ。それから下った急階段をあえぎながら登り返して山道に戻り、先の山道を歩いて今熊山登山口に着いて、バス便がなかったので武蔵五日市駅まで歩いたのだった。

 

 

 ここまで下見を行ってから、後日、他のイベントに今熊神社~今熊山~金剛の滝を巡るコースを使ったのだ。しかし、急階段の登り返しは不評であることがわかっていたので、さらに地図を見て研究すると、金剛の滝のある河床から廣徳寺に行く山道、沢戸橋に行く山道があることがわかった。それで他のイベントでは、タクシーで新多摩変電所まで入り、下から金剛の滝まで行き、急階段を登って今熊山に至ることにした。参加者の顔を思い浮かべながら急階段を下るのを避けたのだ。他のイベントの本番で今熊山から今熊神社遥拝殿に下り、今熊山登山口バス停に向かうと目の前をバスが行った。幹事の計算通りには歩いていただけないのだった。で、タクシーを呼んで武蔵五日市駅に向かった。このときの経験ともう一度廣徳寺に下るコースの下見を行って、山笑(やまにこ)ハイキングの本番では金剛の滝に下り、登り返さずに急階段の反対側を少し登って沢戸橋、新多摩変電所の分岐に出て、廣徳寺に向かうことにしたのである。「ゆっくり歩き隊」を編成するので疲れた方は、最後はタクシーを呼んで駅に戻るのもありとした。


     刈寄山山頂での集合写真(槙田班)              刈寄山山頂での集合写真(久保班)

(ここからがやっと本番)

 大変長い前置きで失礼した。ここからが130日の本番だ。もともと29日が実施予定日で、募集したら38名集まった。新聞募集は今回はしなかった。初めての方が23名おられたので、最近のハイキング経験をうかがった。募集のときに「ゆっくり歩き隊」希望の有無を聞いている。希望者は全員、「ゆっくり歩き隊」に編成した。新年最初の山笑(やまにこ)ハイキングなのでスタッフ全員でやろうと、だから38名の参加はうれしかった。ところが27日頃から31日頃までずっと天気予報が「くもり一時雨」だった。中止にしたくなかったし、実施できる天候だろうと思っていたので、参加者に「小雨、小雪では参加したくない方は遠慮なくキャンセルして下さい」とメールを送ったら、14名のキャンセルがあり、直前キャンセルが2名あった。それで肝心の天気は29日の未明まで大雨、それから晴れ、30日は晴れとなったので、念のために29日に金剛の滝を中心に直前下見を行い、30日に実施とした。

 

 

 武蔵五日市駅で8:44のバスに27名乗り込んだ。バスの客のほとんどの方が小峰公園で下車する。われわれは次の今熊山登山口で下りた。ここから20分弱歩く。道脇の沢は全く増水していない。途中、右側に「正福寺」があって、今熊山の山頂の由来には、江戸時代後期に「正福寺」は今熊権現社と呼ばれており、この権現社を今熊山に移したのだそうだ。今熊権現社は「呼ばわり神社」といわれており、お参りすると「失せ物、失せ人」を探すのに効果があると伝えられていたそうだ。今熊山は「よばわり神社」なのだ。神社について開校式を済ませ、遥拝殿に手を合わせ今熊山に向かって出発した。4班編制で、内2班は「ゆっくり歩き隊」である。気温が上がる予報だったので、自宅を出る時点から着過ぎないように注意はしておいたが、厚着の方が多く、スタートしてすぐに服装調整を行った。今熊山は山頂まで30分ほどで上れる標高500m程度の山だが、石階段が多く、少々上りづらい。しかし、途中のベンチからの武蔵五日市の展望はなかなか素晴らしい。ベンチではわが班のベテランハイカーが遠くの山の名をみなさんに教えて下さり、その上、鳥まで教えて下さった。予定通りに今熊山、刈寄山の分岐に着いた。ここにトイレがある。小休止して先に向かった。行きでは今熊山には登らない。少し遅れて2班が来た。3班、4班はすでに見えなかった。

29日直前下見時の雌滝、階段の先には入れない。

右側の洞窟に注目。

30日の雌滝、まだ水量が多いが、雄滝まで近づけた。


 分岐から刈寄山に向かう山道に入る。ここからは参道ではなく山道である。狭い尾根道を歩く。20分ほど歩くと、東京都のレンジャーの方が地面の丸太に「迂回路」と書いた矢印がある。山腹の道を行かずに左上の尾根道を登って迂回しなさいというのだ。幹事は自分の下見では迂回しなかったのだが、スタッフ全員の下見でも迂回しない方が安全だとの結論になり、参加者にもその旨説明して迂回しなかった。ここから山道は少しずつ登り始める。左側からは採石場の重機の音が轟いておりつや消しなのだが、仕方がない。入山峠まで少し登る。ここから右方向に山道は登る。登ると眼下に立派な林道が見えて、この日は市道山などの山もよく見えた。この日は刈寄山の往復では誰とも会わなかった。もう少し歩くと前方に木の階段が見えてきて、少々ウンザリさせられる。気力を振り絞って登っていただいた。スタートが早かったので、刈寄山にも予定より早く到着した。今熊山も刈寄山も東京都の山で、山頂標識がリニューアルされている。しばらく待つとサポーターと2班が登って来たので集合写真を撮っていただき下山することとした。

 

 

 下り始めると「ゆっくり歩き隊」が見えてきて、時間差が30分ほどあるので、廣徳寺からはタクシー利用がいいかなと考えていた。「ゆっくり歩き隊」の中にはかなりバテ気味の方もおられて、そう見えた方々は廣徳寺からタクシーで駅に戻られた。この後、刈寄山で昼食休憩した9人の内、3人が金剛の滝には「足がつりそう、あるいはつった」ということで、滝には寄らずに小野が班長をつとめて小峰公園まで下り、タクシーで駅に向かった。「ゆっくり歩き隊」の合計9人の内に武蔵五日市駅まで歩いた方が3名おられた。迂回路も含めて今熊山への下りは早い。今熊山への分岐でトイレ休憩として、必要な方は行っていただいた。山頂への参道は誰なのだろう。いつ来ても掃き清められている。山頂の奥の院でお参りし、由来を読んでいただく。明治時代まであった本堂の基礎部分が残っている。

山腹の崩壊地を越す

刈寄山からの富士山


 時間より少し早く今熊山を下り始めた。金剛の滝入り口までの山道はやや急な普段は落ち葉がたくさん堆積していて、しかも下が岩で滑りやすい箇所がある。要注意箇所でみなさんに注意をしたが、ハイカーが多いのだろう、下見と本番を数回する内に、落ち葉が脇にやられ下の岩が露出していた。下降点の直前に、昔の下降点がある。そこから下の金剛の滝まで行けたらしい。今はロープが張られ通行禁止である。さて、いよいよ下降点だ。小休止して、何より階段で足を引っかけて転ばないように注意する。もうすぐ、下の河原に着くときに、昨日の直前下見では、左手側の眼下に広がる水面が目に入った。この日はそれがなかったので増水は引いているように思えた。下り切って昨日、真ん中に石を投入しておいた流れは水が減少して石が必要なくなっていた。問題の、付近にあった石を10個ばかり投入して足がかりを作っておいた徒渉点は水がほとんどなくなっていた。ここを渡るときに、念のために軽登山靴を入れて渡ろうとゴミ袋を持参したが不要になった。対岸に渡り、剪定ばさみを出してアオキ等の枝を切りながら進んだ。

 

 

 金剛の滝の前まで来ると、昨日に比べるとスケールは落ちるが見応えのある雌滝があった。昨日は渡れなかった木橋を渡り、洞窟をくぐると雄大な雄滝があった。みなさんの感想は、スケールは小さいが、洞窟をくぐるという意外性がいいというものだった。満足して全員で引き返した。途中で参加者に催促されて、後続の班のためにみなさんで石を投入したり、赤テープを出して道しるべを作ってあげた。河原の入り口に戻り、後続の2班を待つことにした。そろそろ追いつく時間なのだ。階段道に目を凝らして眺めていると、先頭の班長の薄赤のウェアが見えた。「オーイ」、「ヤッホー」が聞こえてやがて下りてきた。参加者が一人自分から案内役を買って出てくれたので、任せて先に進むことにした。それで肝心の最後の登りである。急な階段の半分に相当する高さを登るのではないだろうか。幹事自身ががつらい気持ちで登ったが、みなさんは意外に平気で上まで着き、分岐点で小休止した。

 


新年会(柳屋)での一こま

 全員、平気なので廣徳寺に向かって歩いた。途中の山道は都会にある散歩用の緑道のような雰囲気で大変気分良く歩くことができる。やがて、目の前に秋川の流れと武蔵五日市の町が目に入る。そこから左折する。分岐から15分ほどで廣徳寺に着いた。この廣徳寺は歴史があるようで地元の方には有名だ。参加者の中に「この廣徳寺に来るために武蔵五日市に来たことがある」という方がいた。「確か、巨大なイチョウの木があった」といわれる。中に入り、古い山門を潜ると確かに巨大なイチョウの木があった。後続の班が追いつくと思っていたのだが追いつかないので先に行くことにした。

 

 武蔵五日市の檜原街道にある上町(かみちょう)目指して歩く。ここまで来たら、列はばらけて三々五々話をしながら歩く。柳屋の前まで来ると「貸切」の看板が出ている。解散して、直帰組と寄り道組みに分かれた。中に入り、早速ビールを注文すると、それより早くLINEに投稿する方がいて、見せ合っていた。そうこうする内に順番に店に後続が到着したが、一番遅い組は先頭より40分程度遅れたのだろうか。2020年の山笑(やまにこ)ハイキングも楽しく登ろうと全員で乾杯したのだった。

 

                                                (報告:稲葉 力)

 

参加者:22

幹事:稲葉 力

 

スタッフ:槙田幹生(班長)、廣川妙子(班長)、久保 雅春(班長)、小野梨香(サポーター)