登りはきつかったが、随身門からの富士山には感激した。21日の七面山は

  立派な牡鹿が迎えてくれた。敬慎院を出るときはお坊さんがいつまでも

    手を振って下さった。~2023年9月20日(水)~21日(木)、七面山企画~

ご来迎(郡司さん)

大勢の人は信徒の方々


9月21日の朝、敬慎院、下山時。本堂前。                   9月20日四十六丁目の和光門

 幹事は七面山(しちめんざん)には過去2回行ったことがある。30年以上も前に「七面山~八紘嶺(はっこうれい)~梅ヶ島温泉(静岡市)」と縦走したのだ。縦走して、下って梅ヶ島温泉に入ることに価値があったのだ。14年ほど前にも同じコースで歩いている。そのときも縦走が目的だった。実は「ご来迎はご来迎」であって、それがどれほどの価値があるのかと思っていたのだ。今回だって、企画した当初は縦走しようと思っていたのだが、綿密に計画を立てると、どう見ても体力度が高すぎることがわかって、羽衣(はごろも)登山口(表参道)から敬慎院に登って宿泊し(参篭という)、翌日、七面山を往復して、北参道(裏参道ともいう)を角瀬(すみせ)まで下るコースが適当と考え直した。

 

 そのコースで調べていると、七面山のご来迎は単なる「ダイヤモンド富士」ではないことがわかったのだ。七面山は富士山の真西にある。3月23日と9月23日に富士山の山頂に上がった太陽の陽射しは、富士山頂から随身門にまっすぐに射しこみ、本堂に至るのだ。そして、日が少し上がった6時半頃か、陽射しは本堂の中に射しこむのだ。お坊さんによると、昔はご本尊に射しこんだらしい。本堂が増築されて状況が変わったとのことだった。朝の勤行が終わってから住職以下、随身門からのご来光を眺めお経を上げるのである。まさしく奇跡的なご来迎なのだ。

 

 9月14日~15日に下見を行った。15日の早朝、5時30分頃にご来迎を拝み、本堂で朝の勤行に出ていると、幹事の前列、右側に座っている方の背中に日が射しているではないか。ここで、朝の勤行が終わったので、本堂の前に出て、随身門から長い階段に(当然、下向き)沿って本堂にまっすぐに射しこむ陽の光束を見たのだ。四角い光の束が伸びていた。当然、カメラを構えた。


いざ出発(鈴木さん)           これは二丁目の神力坊     四十丁目を過ぎた頃、疲れもピーク

 今回の七面山企画は、幹事の企画ミスだったようだ。7月に尾瀬企画、8月に唐松岳企画、9月に七面山企画、10月に苗場赤湯企画と一泊2日企画が続き、七面山企画以外はいずれも18人程度の参加者を集めた。山笑(やまにこ)会の常連さんとしても4ヶ月連続の一泊2日の企画は厳しいだろうし、「ヒルが出る」情報もあり、企画としては難題の多い状態だった。やっと参加して下さった12名の方々も、6名のキャンセルが出た。2名は仕事、1名はご病気、1名はトレーニングやりすぎ、1名はお孫さんのお世話、そしてもう1名は体調不良だった(夏バテらしい)のだが、何と、この方は回復に頑張って前日に再参加のメールを下さった。感激、感激であった。

 

 9月20日の朝、8時45分甲府発の特急「ふじかわ4号」に乗車して、9時26分に下部温泉に着いた。集合は「ふじかわ4号」である。下部温泉は無人駅である。トイレタイム、たった一軒の土産物店での買い物タイムを想定していたのでジャンボタクシーの出発は9時45分としていたのだが、早く来たので9時40分頃に出発した。北参道のある角瀬(すみせ)から羽衣(はごろも)に向かう。羽衣は下見のときほどには混んでなかった。10時5分に着いて、準備をして10時20分に出発した。みなさんには「ゆっくり歩き隊」の希望も伺って、それに合わせた班編成もしたが、全員一緒に歩くことにした。幹事が先頭、スタッフが最後尾だ。なお、表参道は「ヒルは出ません」ということになっている。下見では幹事は、山ズボンとTシャツで歩いたのだが、表参道ではヒルに会わなかった。下見では表参道のコースタイム3時間を休憩含めて2時間45分で歩いたら、信じられないぐらいの汗をかき、バテそうになった。その経験から、本番では、10時20分にスタートして、14時25分に敬慎院に着くスケジュールとした。つまり、下見よりコースタイムで1時間15分ほど長く設定したのだ。その効果はどうだったか。


      トリカブト     晴雲坊のキイジョウロウホトトギス(鈴木さん)    随身門でご来迎を迎えてポーズ! 

                                             (郡司さん)

 スタートの鳥居には「元丁目」と書かれている。「一丁目」である。すぐの二丁目に「神力坊」があるのだが、ここで休む人はいないだろうと行きのタクシーの運転手に言ったらいるという。行きに「神力坊の和尚さん」が運転される車とすれ違ったのだ。われわれはもちろん、二丁目は素通りした。和光門の四十六丁目で14時15分着の予定とした。十三丁目が肝心坊で、二十三丁目が中適坊、三十六丁目が晴雲坊、十丁通過毎に1時間かけることにした。さらに五丁目毎に5分休憩を入れることとした。各「坊」毎に10分休憩し、5丁目毎の休憩で5分休憩とすると、1丁毎を4分30秒で歩けば計画通りとなる。

 

 三丁目は10時30分に通過した。ところでこの「丁目」表示はどうやら一定間隔ではないらしい。今回、気分転換に記録してみたら2分30秒から5分程度までのばらつきがあった。全員、最初は慎重に構えつつも気合十分だった。今回、最終的に残った7名の参加者の内に山笑(やまにこ)会が初めての方がおられた。山岳保険の加入の有無を聞いたら「jro(ジロー)」に加入しておられ、最近の山歩きの経験を聞いたら、そこそこ歩いておられたので、参加していただいた。確かに歩き振りもしっかりしておられ、鳥にも興味があり、山野草も比較的詳しことが分かった。心強い限りである。


夕食風景、おかずは質素だがお神酒も出た  これが噂の長布団、ここに9人寝る       一ノ池(二ノ池もある)

 さて、11時14分に「肝心坊」に着いた。所要約45分と計画ピッタリだった。「肝心坊」では人数が少ないと、女将さんがお茶を出して下さるのだが、この日は人数が多かったので自分たちで入れた。坊には「おにやんま君」がぶら下がっていた。トコロテンなどのメニューと一緒に「缶ビール」のメニューもあり、夏の暑い日には目の毒、この上ない。11時24分に出た。メモ帳に、幹事は歩きながらきちんとメモしておいた。二十三丁目の「中適坊」に着くと40人弱の大団体がいた。われわれも昼食タイムとしたので、20分休憩とし、12時20分過ぎに出る予定だったが、大団体のリーダーの「12時30分に出ます」という声が聞こえて驚いた。「え、そんなにゆっくりでいいの」という気持ちだった。十三丁目から二十三丁目までは所要34分だった。丁目表示のばらつきが大きいようだ。

 

 中適坊を出て歩き始めると、上から若いお坊さんが下って来て、「おや、こんにちは」と挨拶されて驚いた。実は14日の夕方、本番のためにこのお坊さんと相談したのだった。覚えて下さっていて感激した。四十六丁目の和光門を一応の終点とすると中適坊は中間点だ。したがって、みなさん一安心される。これで大丈夫だと思われるのだろう。幹事も何事もなく、直前に体調不良だった方も問題なく安心した。二十九丁目を過ぎると右手側の展望が開け、下界がきれいに見えていて、元気が出た。さて、二十八丁目で休憩し、三十三丁目で休憩した。13時6分に着いたのでここの十丁目は所要45分だった。ここで5分休憩しようと思ったらみなさん元気で4分で先に行くという。三十六丁目の晴曇坊まで行き、長めの休憩を取った。主は奥の方に座っており、表に出てこなかった。ふと来た道を見ると黄色い花がぶら下がっているのが見えた。どうも「キイジョウロウホトトギス」に見えると思って近寄ると正しくそうだった。実は、幹事は初めて目にした。意外なところで目にするものだ。


 出迎えてくれた牡鹿(鈴木さん)        七面山山頂(郡司さん)     敬慎院出発時にお坊さんと

 ここらでみなさんの疲れが目立ってきた。三十六丁目で休んだので次は仮ゴールの和光門だったのだが、下見のときの幹事もそうだったのだが、急に疲れが増すポイントのようだ。それで四十四丁目で休憩することにした。みなさんホッと安心されたのがわかった。それにしても、みなさんご自分からは「疲れたから休みたい」とはいわれないのだ。疲れた体に鞭打って14時15分に和光門に到着。この十丁目間は48分かかっていた。やはり最後の最後はきつかったようだ。ここからもう少し頑張って、敬慎院には帳尻を合わせたか14時25分に到着した。お坊さんに部屋に案内していただき、みなさん荷物を整理してぬれた衣類を干して、次に風呂に向かった。汗を流すだけだが、元気が回復する瞬間だ。もう疲れは飛んだかのようだった。幹事はまずは持参した缶ビールを飲んでから追いかけた。風呂から上がって、幹事以外のみなさんは本堂前の階段を上がり随身門に行き、明日のご来迎に期待しつつ富士山を眺めた。幹事は明日の荷物を軽くするために缶ビールを飲んでいた。

 

 5時から夕食で、運ばれて来たお膳を9個並べて全員で食べた。お酒が一人5勺程度つくのだが、大とっくり2本に分けて運ばれて来た。必然的におおむね2人で飲む流れとなった。幹事ともう一方にはまさしくお神酒であった。しばらくゆっくりしてから、18時半から19時半頃まで夕勤行の時間だ。19時半に部屋に戻ると、長い長い布団が敷かれていた。掛け布団も長いのが一枚だった。どうやら、大部屋(2間続き)約26畳程度にこの長い布団が収まる設計のようだ。20時過ぎには全員就寝した。付記しておくと、部屋にコンセントがあるので、全員スマホの充電ができた。スマホはドコモだけは使用できるが、WiFiも使用できた。さらについでに書くと、シャワートイレもあった。中適坊で会った団体は、われわれの夕食の頃に着いたようだから、2時間半ばかり遅かったのではないだろうか。


  ヒロハツリバナ(黒田さん)  奥之院の七面大明神、影向(ようごう)石   大トチノキ

 21日の朝は、5時前に全員起床した。5時に本堂の太鼓が鳴らされ、ほぼ同時に男衆が入って来て、手際よく長い布団を丸めて運んで行った。5時30分頃に全員、随身門に向かった。東側の富士山はちょうど雲に隠れていた。徐々に東の空が明るくなり今か今かと期待したが、この日はご来迎は見られなかった。昨日の大団体が全員でお経を唱えながら、掛け声をかける。さながら来迎を引寄せるが如くだった。部屋にスマホを置いて、朝の勤行に出た。7時過ぎに全員準備をして外に出たが、ときどき小雨がパラついていたので、雨具を着用した。ザックは参加者の分は全て、寺に預かっていただいた(寺からの申し出)。七面山までは意外と早く50分もかからなかった。足取りも順調そのもので、下りも快調だった。山頂では展望があったのだが、下りでは再びガスがかかり、名高いナナイタガレは眺めることができなかった。七面山の登りでは、牡鹿が見送ってくれた。あの鹿の集団のボスなのだろう。

 

 一度敬慎院に戻った。ザックを受け取り、本堂前で集合写真を撮るとお坊さんが撮って下さったので、ついでに一緒に収まっていただいた。出発すると居合せたお寺衆の全員がわれわれの姿が見えなくなるまで手を振って下さった。何と温かい方々か。ちょうど9時に出発した。出発が早くなったので、途中で連絡してタクシーの出迎えは、登山口に12時に変更してもらった。奥ノ院には9時10分に着き、御朱印をいただく方がいて長めの休憩をした。奥ノ院にある影向(ようごう)石は七面大明神の化身のようで、願い事を唱えながら一周すると適えられるとか。毎年、9月17日頃に大祭を行うとブログにあった。奥ノ院を9時20分に出た。以降、明浄坊、安住坊と休み、十丁目で休んで登山口には12時7分に着いた。タクシーに乗り下部温泉着は12時35分だった。明浄坊ではアケビが見られ、安住坊では巨大なトチノキが盛大に実をまき散らしていた。登山口のタクシーまで着き、みなさん足元を点検すると小さなヒルがいて大騒ぎ、タクシーの運転手が塩を撒いて下さった。翌22日、奥ノ院のブログを発見し、拝読すると「雨が降るとヒルが出るので」とあった。なるほど、下りは小雨がときどき降っていた。登りも下りも体力的きつかったが、実りは大きかったと思う。

 

ご参加下さったみなさん、ありがとうございました。登りも厳しく、下りもきつかったですね。どなたも弱音を吐かれることがなく、つくづく感心しました。どなたかがいわれてましたが、七面山の登りで大丈夫なら、確かに苗場山の登りも大丈夫でしょう。頑張りましょう。

 

・参加者7名(申し込み12名、キャンセル5名)

・スタッフ:稲葉(幹事)、小野(班長)

・報告:稲葉 力(25年)、写真(小野、稲葉、郡司さん、黒田さん、鈴木さん)