なだらかな関東富士見百景の帯那山を後に下った、県道31号線沿いの山道は

   楽しいバリエーションだった。最後は、信玄ゆかりの要害山城跡を巡り、

       要害山温泉に下った。~2024年6月27日(木)~

 

(以下の報告は、幹事代行の小野)

帯那山1422m(おびなやま)は山梨市と甲府市の間にある山だ。知る人ぞ知る山で、知名度は低いのではないだろうか。山梨百名山で広々した山頂から富士山が望めるのだ。この山はアヤメの群生地があることで有名なのだが、近年シカの食害でちらほらとしかアヤメは無かった。今回のハイキングは帯那山と隣に位置する武田信玄の生誕の地で、後に、避難するための城になった城跡がある要害山に行くのだ。このコースは本来の幹事が脚を運んで練った思い入れのあるコースだが、その幹事が急な体調不良で無念にも欠席せざるを得なくなってしまった。

 

集合は山梨市駅。830の集合時間に全員集合し早速タクシー3台に分乗しスタートの標高約960mの登山口へ向かった。ところが、あれよあれよと本来スタートすべき登山口よりも更に標高が高い1200mは超えたかという場所までタクシーが向かってしまいラッキーなのかアンラッキーなのか・・?!幹事代行、スタッフそして参加者全員、あれ?っと頭をかしげたが、登りの距離が短くなり楽になったということで時間的にも余裕が出来たねということで場が和み準備を整え出発となった。

帯那山山頂の全員集合写真

ここが本当の山頂、幹事班

アヤメ平の数少ないアヤメ


登山道を歩いたというほどの距離でもなく間もなくアヤメ群生地に入るが、ロープで囲ってあるもののシカの食害で花は無い。その囲いの外にまばらに咲いているという程度に花があった。それでも紫色の綺麗な花を見ながらすぐそこの山頂を目指した。あっという間に帯那山の山頂に到着した。広々してベンチもある山頂で記念写真を撮り、ザックを置いて奥帯那山へ進む。奥帯那山という名前であっても三角点がある場所の帯那山山頂に変わりがないのだが、こちらは「奥」だけあって展望はない。往復で約30分で戻ってきたが、その奥へ行く道のりにはウリハダカエデ、カジカエデ、ウツギ、ヤマグリ等の木々があり森の小径を歩くような気分で楽しめる。身軽になった参加メンバーが足取りも軽くスタッフを先頭に歩き進める。三角点をタッチしてそこでも記念写真を撮りまた明るく広々した山頂へ戻った。気持ちの良い山頂なので少しゆっくりして頂いたが、天気は良いものの本来なら富士山が目の前に見えるはずなのだが、雲が多く見えず残念だった。

 

気を取り直して先に進む。次に目指すのは無線中継所で、立派な建物があるちょっとした広場へ向かう。そこで昼食タイムだ。その途中の登山道にも少しだけアヤメが残っていて少し心和む。林道(作業道)に出て更に登り進むと昼食予定地だ。10分程予定より早く到着だ。思い思いの場所で昼食を取り、11:40に出発し次の目標地、要害山787m(城跡)に向かうとした。山道に入ると藪漕ぎチックな道を歩くが探検ハイキングのような雰囲気を味わえた。その道沿いにモミジイチゴの大きく熟した美味しそうな実がたくさん残っていて参加者のみなさんは甘い実を食後のデザートの如く味わった。甘い甘いとみなさんと自然の恵みを享受した。そうしていると大きな林道に出る。ここで幹事代行班とスタッフ班の二手に別れる。

電波塔で昼食タイム

みんなで食べたキイチゴ(鈴木さん)

要害山到着の幹事班


ここからが、このハイキングの真骨頂で本来の幹事が試行錯誤して考えた2コースに分かれる。スタッフ班のプラス班(長く歩く班)と幹事代行班のハイク班(短めコース班、脚力体力負担が軽め)に分かれる。要はがっつり歩ける方もそこまで歩けない方も一緒に同じ山へ行けるように考えたのだ。スタッフ班はそのまま歩き続けて要害山へ向かう。幹事代行班はそこでタクシーを使う。そして歩く距離、時間を短縮し、身体の負担も軽減というわけだ。要害山の登山口でタクシーを降りてそこから歩き出す。林道に出た時に電波の関係でスタッフに自宅滞在の幹事からタクシー会社から連絡が入ったと連絡が来た。この場でタクシー会社と連絡をして間もなく幹事代行班はタクシーに乗車してスタッフ班と分かれた。

 

 

幹事代行班は要害山入口から予定通りに山頂を目指した。登山道に入ると本日最大の急登で参加メンバーは不安に陥った。が、その登りも少しの辛抱で間もなく緩やかな登りとほぼ平坦な気持ちの良い登山道となりみなさんホッとしながら新緑の周りの山々を眺めながら歩いた。そしていよいよ城跡であるとはっきりわかる石垣や曲輪跡(くるわあと)と書かれた表示板が出てくる。山頂で記念写真を撮ってしばし古(いにしえ)のお城に想いを馳せた後、下山開始だ。古い石段を慎重に下りて舗装道に出て積翠寺(せきすいじ)に下ると予約していたタクシーが待っていた。幹事代行は甲府駅までの乗車ということでハイク班のみなさんを見送った。全員笑顔でお別れとなった。そして約1時間後に下ってくる予定のスタッフ班班長と参加者のみなさんを待つ。

アヤメ平を進む(鈴木さん)

荒れた山道に突入(鈴木さん)

サワハコベ


(ここからの報告は、スタッフの岸本)

広い林道で幹事代行班と分かれると、スタッフ班は幹事代後半から希望される方を一人受け入れ、スタッフを入れると総勢15名になった。林道を下っていくと、幹事代行班の皆さんを乗せたタクシーが2台通過したので見送った。林道沿いの植生は豊かで、オニグルミやオオヤシャブシが仲良く並んでいて、手に触れ、その用途について会話が弾んでいた。しばらく下ると広い林道を右に曲がり、森の中の狭い林道を下っていった。切り通しとお洒落なウッドデッキのある民家を過ぎ、さらに下っていくと左側に再び手書きの登山道の入り口を示す小さな標識が現れた。

ここからは、いよいよ荒れた登山道だ。目的地は、標高差約150m、約300m先の麓にある古湯坊温泉へ緩やかな谷筋を下るルートだ。地図上にも明確に記されていない登山道で、さながら探検ハイキングのようだ。薄暗い人工林の森に入っていくと、足元は分厚い落葉に覆われ、無数の枯れ枝と倒木がたくさん横たわっていた。風もなく蒸し暑く鬱蒼としたつづら折りの登山道を、スタッフ班は、隊列を崩さず降りていく。倒木があれば跨ぎ、あるいは、下を潜っていく皆さんは逞しい。30分ほど登山道を慎重に確認しながら下っていくとやがて竹林になり施設が見えて荒れた道は終わり、古湯坊温泉に辿りついた。

ここで5分ほどひと息いれ、要害山へ向かう遊歩道へ入った。時刻は、1350分だ。少し遅れ気味だったが、荒れた登山道をスムーズに下れたので、10分ほど貯金ができた。可愛らしいユキノシタの花が咲く橋を渡ると、遊歩道の森に入る。適度に間伐され、登山道も整備されていて快適な山歩きができた。途中、天神山園地と呼ばれる展望がよい所に出た。東屋があったので休息をとった。残念ながら上空は曇りで、遠くの山々を望見することは叶わなかった。それでも甲府盆地の広大な展望を楽しめた。そのまま、トラバースするように起伏の少ない遊歩道を歩いていくと、やがて沢の音が近くなり、仲川に沿う林道と合流した。

これが電波塔

このコースの醍醐味(倒木だらけ)

やっと古湯坊手前に到着、探検コースはこれでおしまい


 

広い合流点で水分補給をすませた後、林道を下流へ10分ほど下ると左側に要害山の登山口に辿り着いた。草つきでそれなりに勾配のある登山道を登った。最初のハプニングが起きたおかげで、皆さんにとって最もきつい登りだったのかもしれない。スタッフが太ももに疲労を感じ始めたころ、勾配は緩やかになり森が深くなり、稜線歩きになった。途中、山頂標識のない要害山の山頂に立ち寄った。標高は787mで、よほど気にしていなければ素通りしてしまうだろう。しかし、「ここは狼煙台があったのではないか」という声が皆さんからあり、そう思うとこの山頂も歴史的に深い意味を持っていたのかもしれない。しばらく稜線歩きを続けると門跡、竪堀跡、曲輪跡の標識がでてきて、要害山の城郭の作りを体感しながら歩いた。


山頂に着くと10分ほど休憩し、本丸があったと思われる主郭部の標識前で記念撮影を行った。また、近くには、武田信玄公の生誕の碑があり、何人かは参拝をされていた。甲斐武田氏にとって聖地のような場所だ。スタッフは、幹事代行に下山予定時刻を伝えるとすぐにタクシーを手配してくれた。1515分頃に下山を開始し、途中で、武田不動尊の石像が祀られていたので、立ち寄り参拝した。アカマツと杉の混交林の中、よく整備されたつづら折りの登山道を降りていくと、やがて明るくなり民家が並ぶ舗装道路に出た。仲川の向こうには幹事代行が手を振って合図しており、タクシーが配車されている積翠寺まで先導してくれた。ちょうど1540分だった。下山時刻は予定通りになった。(ここまで岸本)

遊歩道の天神園地の東屋

要害山に全員集合(スタッフ班)

もうすぐ登山口(これは何だろう)


スタッフ班が全員元気に下山し、4台のタクシーに分乗して甲府駅へ到着してハイキングは終了、解散となった。

参加して頂いたみなさんは予定通り、予約していた特急に乗り帰途についた。

 

ご参加して頂いたみなさん、お疲れ様でした。そしてどうもありがとうございました。

 

・参加者:18名(申し込み21名、キャンセル3名)

・スタッフ:小野 梨香(幹事代行)、岸本 雷太(班長)

・報告:小野 梨香(30年)、岸本 雷太(30年)、写真(小野、岸本、鈴木さん)