息を呑む「紅葉」とはこのことか。苗場の登りでは「ブナの黄葉」に感激し、
苗場山から和田小屋に下る途中ではグラデーションの素晴らしい紅葉に感嘆した。
~2023年10月18日(水)~20日(金)~
めばゆい紅葉(鈴木さん) 和田小屋に下るときの紅葉(川原さん) 苗場台地の端から神楽ヶ峰を
眺める(川原さん)
僕が所属山岳会の友人たちとあちこち山に登っていた頃、3年ばかり続けて秋の赤湯に行ったことがある。30~40年前のことだろう。元橋バス停から赤湯までテントを担いで歩いた。そして、赤湯のテントサイトにテントを張ったのだ。だから、食事は自炊だ。ということは、僕は赤湯には泊ったことも食事を食べたこともなかったのだ。しかし、懐かしく、2022年の秋のいつだったか、みなさんに話をしたら、「行きたい!」という声が多かった。しかし、必然的に1泊企画になるので、参加者限定で「特別企画」で実施しようと考えたのだ。時期は赤湯のHPを見て、例年、一番紅葉のきれいな10月20日頃と決めた。しかし、そのために赤湯企画前後の山笑(やまにこ)会のスケジュールにしわ寄せが行ってしまった。
10月18日~19日に実施と決めて、参加者の募集を開始したら、19日の「赤湯~苗場山~和田小屋」コースがきついので、「温泉にだけは入りたい」という方がいて、その声に応じて、「赤湯往復コース」を設けた。さらに、今度は「苗場山にはぜひ登りたいが、きついので、苗場山頂ヒュッテに泊まる」コースを設けて欲しい、との声が出てきた。それで結局、3コースになった。3コースの設置にはかなり悩んだが、みなさんがやりたい山をやろうと決断した。スタッフとの協議で、暑い盛りの8月21日~22日に下見を実施した。そのときの赤湯の客はなんと3人だった。その3人で新館を独占した。10月18日の30人と何という違いであるか。さて、本文にしよう。
赤湯往復班、小日橋に到着 (廣川)
赤湯に向かって登る(廣川)
前を行く人をパチリ(有田さん)
10月18日、幹事は自宅を4時50分頃に出た。横浜線の5時3分発の八王子行きに乗ったのだ。この電車が八王子駅で約30分も八高線の電車待ちをするのだ。越後湯沢には10時15分に着く。下見と同様なのだが、遅れたら新幹線に乗ればいいとは思うが、いつもながら、乗り継ぎにひやひやものだ。越後湯沢駅に着いたら全員集合されていた。参加者16名、スタッフ3名の合計19名だ。ジャンボタクシー2台、普通車1台に分乗した。11時10分頃に「小日橋」に到着する。すると何やら、10人くらいの団体のリーダーが寄って来て「今晩、ご一緒するものです。よろしく」と挨拶された。どうもこの方は、赤湯に着いてみたら赤湯の助っ人のようだった。てきぱきと動く人の名前を良く覚えている方だった。
小日橋の入口に鎖がかかっている。それを越えて、本日の開校式を行った。幹事が先頭、小野班長が中間、廣川班長が最後尾とした。8月21日の下見と違って、樹木の花も終わり、実となっていた。カメバヒキオコシの花、リョウブの実が目についた。しばらく広い河原を見ながら進む。河原が見えなくなって来ると、棒沢橋(釜段の滝)が近い。少し下ると橋がある。これが棒沢橋だが、滝はどこだという感じだが、右手の奥に見える。下見のときはここで昼食としたのだが、本番では人数が多すぎて無理で、他の方々は上に上がってもう少し広い場所で食べた。ここからは、約40分の登りで「鷹ノ巣峠」に着く。林道歩きが1時間、山歩きが1時間半で赤湯山口館に着くのだが、この2時間半は長いかどうか、その価値はどうか。結構、登りでがあるが、今年一番の紅葉の時期だったようで、明るい黄色の黄葉が美しく、見ていて飽きなかった。
鷹ノ巣峠に着いて休憩。ここから「見返りの松」を通過して、「赤湯山口館」に着く。下りはとても「温泉に行く道」とは思えない。「見返りの松」の道標に着くと、皆で「どこに松があるの」と探すがわからない。少し離れた位置に背の高い松があったが、あれが「見返りの松」だろうかと話した。「鷹ノ巣峠」から足元に気をつけながら下り、やっと沢の近くに出る。橋を越えるとテントサイトがあり(昔テントを張った)、その先にまた橋があり右手に女性用の露天風呂の囲いが見える。その橋を過ぎて、100mも歩けば赤湯山口館に到着だ。本館の前で、まずは、先着グループで記念写真を撮った。今夜はわれわれ19名と他に10名ほどの宿泊者がいた。本館2階の大広間に女性14人、男性は5人は隅のトイレの前の部屋となった。女性陣のために明るい時間はいつもは男性用となっている露天風呂を女性用に優先してくれるように交渉したが、先に着いた方がすでに入っていて駄目だった。残念。
苗場山頂の小野班(小野)
赤湯に到着してパチリ(小野)
もうすぐ赤湯だ(有田さん)
翌朝、5時前からトイレ前に灯りの動きがあり、幹事も起きた。外を見るとどうやら晴れているようだ、「よし!」とうなずいた。本日、和田小屋まで縦走する小野班は、出発が5時45分、和田小屋到着予定は16時だった。苗場山頂ヒュッテ班は6時30分の出発、ヒュッテには12時20分着の予定だった。小野班は5時半にしていただいた朝ご飯を食べる時間がなく(これは正しい判断だった)、朝ご飯代わりと昼食用にお握りを持った。幹事班も行動食用にお握り弁当を持った。余談だが、山口館のおにぎりは絶妙に旨いのだ。小野班8人と班長が宿の玄関に集合し、5時45分にスタートした。10分ばかり沢歩きのように河原を歩くのだが、これがなかなか本格的な沢歩きで、初めて歩いたら「え、道が違うんじゃない」と思うほどだ。段々明るくなる山の際を見ながら歩くと先に、10mほど上に鉄橋がある。それを渡って右側の対岸に行く。それからが、まず、最初の尾根越しだ。右手に明るくなってきた紅葉を見ながら、朝一番のアルバイトだ。30分ほどで稜線に着く。そこから今度は沢まで下るのだが、この下りが急だ。途中にロープもある。滑らないように沢まで下って、また鉄橋を渡り対岸だ。ここからが本当の登りなのだ。昌次新道の始まりだ。
幹事班は6時半に出た。5時半に朝食を食べたので、時間的には余裕があった。苗場山頂ヒュッテは原則として中に入れるのは13時以降となっている。だから13時頃に到着すればいいだろうと幹事は6時半出発にしたのだ。話を少し飛ばして、沢に下って鉄橋を渡り稜線に向かって登り始める。ここの尾根はブナが多いので、ブナの黄葉が実にきれいだった。幹事班は、もともと体力に少々自信がない方(自己申告だが、幹事は了解している)が多いので、「ゆっくりペース」と決めていた。したがって、幹事は常に後方を見て、ペース配分を考えていた。稜線に出るまでに全体のペースを考えて、30分歩行、5分休憩だったが、20分歩行、5分休憩に切り替えた。稜線に出たときにみなさんが「宿の方が、フクベ平で疲れが出るので長めの休憩を取るといいといってました」というので、お勧めにしたがって長めの休憩を取ることにした。フクベ平(7合目)まで比較的なだらかな道が続くので気分よく歩ける。先の切り株に黄色い紙が見えた。近づくと、先発隊の小野班長のメッセージだった。小野班長ありがとう。元気をいただいて、宿の握り飯を食べて、再び頑張った。ここで当初の予定より20分遅れで、どうやら、予定より1時間遅れで着きそうだと判断した。
ブナの黄葉を見ながら歩き、そして多かったオオカメノキも消えて、稜線に出て松に変わると7合目半だった。給水を2回(ということは40分)歩いて8合目だった。ここまで来たら、もう大丈夫だろうと。もう一度給水して、深穴岩に到着。8合半と表示がある。眼前に巨大な岩が突き出している。松と思っていたのは実はシラビソだったようだ。2回ほど休憩して着いたところが、「シラビソ廊下」で9合目だった。ここから山頂台地は眼前に巨大なシルクハットのように横たわっている。ここから今度は15分歩行して5分休憩にした。目の前に見える壁に突き進み、左に回ると葦の原のようになっていて、葦をかき分けてトラバース気味に横に進む。いい加減飽きた頃に右に回るのだが、ここで休憩した。休んでいると上から一人下ってきた。「やあやあ」と挨拶されてみると、朝、玄関で話をした方で、「昨夜は飲み過ぎました。きょうは赤倉山を経由して苗場山に行きまた赤湯に下ります」といっていた方だ。「今夜も赤湯で飲みますか」と聞いたら、「もちろん、しっかり飲みます」といって別れた。面白い方だった。昨日飲みたかったが、飲まなくて良かったか。右に回って少し登り背後を見るとはるか下に今朝歩いた稜線が見える。目の前に鎖とロープが下がっている。
幹事は先頭で登ったのだが、最初のステップの間隔が高すぎた。上に上がって聞いたら、みなさん、自分の後ろの方に尻を押してもらったそうだ。7番目の最後の方は男性だった。幹事、配慮不足であった。皆無事に岩場を登り終えた。これでもうほとんど登りはない。草付きを少し登ったら目の前に長い長い木道、そして遠くに苗場山頂ヒュッテが見えた。次に上って来た方と「やった!」と喜び合った。時刻は13時ちょうどぐらいだ。これで13時20分頃にはヒュッテに着くだろう。もう大丈夫だろうから来た順番に木道を進んだ。もう湿原に花はない。10月6日に初雪があったのだ。13時20分に山頂ヒュッテに着いた。宿の受付けを済ませ、部屋に荷物を置き、再び小屋の前のベンチに集合し、缶ビール、焼酎、紙コップ、各自のザックの中の肴を出して小宴会を始めた。ガスコンロでお湯も沸かして、お茶も飲んだ。疲れた顔をしている方はなく、全員で、楽しんだ。われわれが今夜の第一号だった、といっても今夜は全員で12名だったのだ。来週24日で小屋を閉めるそうで、色んなものが品切れだった。幹事はカップラーメンを食べるつもりで歩いて来たら、「品切れ」でガッカリした。今夜は、カレーライスだったが旨かった。食後は、苗場山と赤湯のビデオを楽しんだ。ビデオには、昨日会った赤湯の女将も登場した。
山頂ヒュッテでランチの小野班(川原さん) 苗場台地に上がると遠くヒュッテが 赤湯に向かう途中の紅葉(小野)
見える(鈴木さん)
20日の5時頃、周りに動きがあった。ヘッドランプで時間を見ると5時過ぎだった。どうやら、ご来迎を見に行くので動き出したようだった。幹事も起きて、いったん食堂に行くと小屋番がいて、聞くと「朝日がきれいです」という。それで部屋に戻って防寒具を着て外に出た。結果的に20分ほど待ったが、実に幸運な(予報は曇りだった)日の出を見ることができた。ヒュッテに戻って朝飯を食べた。実にシンプルな朝食だったが、赤湯でもここでもご飯が実にうまかった。日の出は5時50分頃、出発は7時だった。和田小屋にタクシーを11時15分に予約していた。7時前に全員、ヒュッテの玄関に揃い、小屋番に写真を撮っていただいた。この日は幹事は気が楽だった。みなさんの実力と前夜の状況から、まず間違いなく和田小屋まで時間通りに下れると判断したからだ。
7時に出発して、100mほど先の山頂でも記念写真。しばらく木道を歩き、台地の端で立ち止まる。小屋番には「下りで気を抜かないように」と注意されていた。前方は、雄大な神楽ヶ峰が下りの底の上にそびえている。下り始めるとなんと、前方から登って来る方々がいた。意外とすぐにちょろちょろの雷清水、そして神楽ヶ峰、そこから15分も歩いたら小松原分岐だ。そして右に曲がって下り、上ノ芝、中ノ芝、下ノ芝と続く。下るほど山道の状態が悪い。しかし、反面、紅葉がきれいなのだ。黄葉ではない紅葉だ。過言ではないが、「筆舌に尽くしがたい」とはこのことだろう。僕はいまだにこのときの紅葉の感動を表現する言葉を知らない。そして、10時53分に和田小屋に着いた。何と予定時間より7分早かった。山靴を洗っているとジャンボタクシーが着いた。タクシーの運転手が驚いていた。「どうだ!」と思ったよ。みなさん、ご苦労様。やったね、感動できましたよ。
以下、19日の朝、赤湯山口館を出て、同日の16時に和田小屋に到着したスタッフ班の記録(担当、小野)。
19日早朝、5:45に縦走班は出発した。河原歩きは薄暗いが、ヘッドランプは不要な明るさだ。河原を離れて山道に入り、徐々に勾配もそれなりになったが、素晴らしい紅葉とたまに見える景色に背中を押され、ほど良い涼しさにも助けられて歩き進んだ。山頂台地直下まで2か所に後続班へメッセージを貼っておいた。縦走スタッフ班は後続班を心配したが、逆にそれも励みになった。山頂の湿原を歩いてヒュッテ到着は予定より15分も早く到着した。トイレ等で時間を取ったがたまには山頂でゆっくりしようと昼食とし、予定より5分遅れで出発とした。更に山頂標示のところでのんびり記念写真を撮り、実は予定より10分遅い出発となってしまった。スタッフ班班長の計算ミスだ。
参加メンバーは予定通りに歩いていたのだが、この時間がそのまま和田小屋到着の予定時間オーバーの時間そのままなのだ。10分オーバーだったのだ。山頂でゆっくりした分遅れての到着となった。参加メンバーは心配することなく歩き、全員事故もなく無事にタクシーで越後湯沢駅に到着となった。休憩の度にみな異口同音にこの素晴らしい紅葉に感嘆した。忘れられない思い出に残る1ページに匹敵する紅葉だったと思う。
赤湯山口館(有田さん) 薬師の湯(8月21日) カッサ湖(有田さん)
思い返せば2022年秋に「昔、何度か行った赤湯」の話題を出したのがきっかけだった。「ぜひ行きたい」という方が5名ほどおられて、僕自身が行きたくて企画を決めたのです。毎年、紅葉の盛りが10月20日頃らしいので、どうやってその時期に企画を押し込むのか苦労した。結果として、その前後の他の企画にしわ寄せが行くことになった。他のスタッフのみなさんにも迷惑をかけました。協力ありがとうございました。
そして、参加して下さったみなさん、ありがとうございました。山笑(やまにこ)会として初の2泊3日の企画でした。長い長い行程を無事に歩いていただきました。本当にありがとうございました。
参加者:16名(申し込み19名、キャンセル3名、赤湯往復班2名、苗場山頂ヒュッテ宿泊~和田小屋縦走6名、
赤湯~和田小屋一日で縦走班8名)
スタッフ:稲葉(幹事、苗場ヒュッテ宿泊班)、小野(班長、和田小屋一日で縦走班)、廣川(班長、赤湯往復班)
報告:稲葉 力(25年)、小野梨香(30年)、写真(小野、廣川、有田さん、鈴木さん、川原さん)
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