天への願いが通じて絶好の天気、神々しい山々の頂が広がり、

        最高のハイキングだった。~2022年11月24日(木)~

 

 

 降り続いた雨も夜半には晴れ、家を出て仰ぐ空には沢山の星が煌めいていました。暗い内から起きて電車に乗って下さった皆さん、ありがとうございます。その甲斐あり、車窓からは次第に白む空の中より浮かび上がったモルゲンロート、更に真っ白な富士山も拝めました。

 

 早朝の西武秩父駅、タクシーで無事に出発。先ずはホッとしたものの、ジャンボタクシーの運転がなかなかのものだったようで、申し訳ありません。その分、到着は早く助かったのですが・・・。

 

 運転手横席は沈黙を守るように受付の方に言われていたのに、運転手さんは話し好き、私もついついお話してしまい、皆さんにお静かにとお願いしていたのに、ごめんなさい。美味しいお蕎麦屋さん情報等、仕入れましたので、次に生かしますね。

  

 タクシー代をかけ予定より15分、バス利用より80分早く到着した分が勿体ないので、開会式は手短に、体操や伝達事項は班長に任せて歩き出すと間もなく、嘗て三峯神社を支えた人々の住まい「神領民家」が落ち葉に埋もれ静かに佇んでいました。三峯神社の禰宜さんは、この家に住んでいらして、往時はこのような住まいが60軒も南斜面にあったのだそうです。今は軒下の穴にムササビが住むだけ・・・時の流れに思いを馳せます。


 妙法ケ岳奥宮の集合写真(廣川班)     霧藻ヶ峰の記念写真(久保班)        小野班の集合写真

 私が山に登る楽しみの一つは、古の人々の足跡を辿り、息づかいを感じ取ること。今回も遠くお江戸から憧れの三峯へ遙々とやって来た江戸っ子たちの、賑やかな道中や遂に到達した感動の面持ちなどを想像して、わくわく嬉しくなってきました。

 

 最初の鳥居で登山届を提出、次の本柱袖付の両部鳥居が「妙法ヶ岳分岐」。登った先のベンチで休憩、「雷の爪痕」を経て、妙法ヶ岳への最後の分岐・東屋に到着。ここからの展望良好。岩壁に取り付けられた金属製の階段を下り登りの後、急勾配階段と鎖場をよじ登り、漸く妙法ヶ岳山頂(三峯神社奥宮)へ到達。流石に三峯神社の奥宮、そう易々とは登らせてはくれず、最後の試練は一種の禊ぎかとも思われました。(但し、手すりも鎖もしっかりとしており、短区間。慎重に登りさえすれば危険はありません。)

 

 青空に向かって聳える奥宮は眩しく神々しく、誰しも自然と頭を垂れて祈ります。眷属の山犬たちは、風雪に耐えた姿から新しい姿まで様々で、厳かな中にも優しい面差しで私たちを迎え入れてくれました。奥宮の左手奥からは、山笑(やまにこ)会で2週間前に登った両神山の威風堂々たる姿が拝め、感動もひとしお。

 

 三峯神社は、日本武尊により伊弉冉・伊弉諾尊の両神が祀られたことが起源とされていることを思えば、三峯神社奥宮は、更に両神山を奥宮とする遙拝所ではないかとの思いを、実際にその地に立ったことで、より一層強くしました。 奥宮直下の急勾配は、登りより下りが緊張したようで、下り終えてホッとし、まるで全身清められたかの如く晴れ晴れとした笑顔が印象的でした。

  

 霧藻ヶ峰分岐・東屋へ戻る頃から風が強くなり始めましたが、東屋で後続班の到着を待ち、妙法ヶ岳のみ往復希望とする人の有無を確かめることになっていたので、お互いに身を寄せ合い、メジロ押し状態で風を凌ぎながら軽食をとることにしました。写真を見ると、密着せず絶妙な間合いで並んでいて、これもコロナ禍で身に付いた習慣かと感心。


  霧藻ヶ峰休憩所の廣川班        東屋でメジロオシで昼食の廣川班        地蔵峠の小野班

 結局、全員が霧藻ヶ峰へ向かうこととなり出発するも更に風が強くなり、登りもキツい中、一時はどうしようかと・・・しかし、稜線を越え山の向こうに回ったらピタリと風が止み、温かな日差しも注いで、まるきり狐につままれたようでした。先程のメジロ押しランチで、一番風上に座り誰よりも強く風を受けていらしたUさんの、

「風の神様が良くぞ負けずに頑張ったとお許し下さったのかもしれませんね」

とのお言葉に感じ入り、一同深く頷くのでした。

 

 強風を受けた影響も考え、霧藻ヶ峰への合流点で再度後続班を待ち、

「ここが妙法ヶ岳のみ往復の最後のチャンスですよ~大丈夫ですか~?」

と確認するも、全員の決心は揺らがず先へ進みます。その先の炭焼平で休憩。ここには竈門の跡が残っており、看板によれば、白炭という備長炭タイプの早く高温になる炭を焼いていたそうな。(因みに、茶の湯などで用いる黒炭はゆっくり長く静かに燃えるタイプ)

 

 風は止んだものの、ここから先の登り下りが、この日一番体力を消耗する箇所。タクシーでの貯金時間を使い、休憩多めで無理せず会話も出来る位のペースで登ったので、それ程苦しい思いもせず地蔵峠に到着。お地蔵様に手を合せ小休止、後少し登って霧藻ヶ峰の三角点へ。

 

 三角点の奥の見晴らし台のような場所は、ロープが張られて立ち入り禁止でしたが、手前からも奥秩父の山々が連なる好展望を得られました。その先の霧藻ヶ峰休憩所(WC有り)手前では、霧藻(=サルオガセ)ヶ峰と命名された秩父宮殿下・妃殿下のレリーフが優しく微笑んでくださり、休憩所前の日だまりで、後続班の到着を待ちながらのんびりと休息をとりました。先頭班の皆さんは、とても寒かったと震えて下山していかれたのですが、ほんの数分の差で風が止み日差しが戻り温かになったようで、山の天候は気まぐれです。ここで撮った集合写真のポーズが、期せずしてまるで千手観音のように見えて大笑い。なかなかの傑作となりました。

 

 帰路は、あのキツい登りを忘れてしまうような楽な道のり。落ち葉や木立、連なる山々の展望を見ながら思わず鼻唄も出てしまうハイキングに。茶色黄色の落ち葉の中から、独特な濃いピンク色のメグスリノキの紅葉を皆で拾い集め、後続班の為に三出複葉に再現して並べておきましたが、みつけられたかな?

 

 予定よりやや早めに三峯神社参道に到着。美しい干し柿を眺めながら、お蕎麦休憩か参拝かと問えば、迷い無く全員が参拝希望。そうこうしている内に後続班も合流し、いざ、日本屈指のパワースポット三峯神社へ・・・

 

 大きな山犬に見下ろされて「三つ鳥居」を潜った瞬間、ただならぬ気配に包まれ、やがて目の前に現れた荘厳な随身門に息を呑み、両側に立ち並ぶ灯籠の中を神妙な面持ちで進みゆくと、突然、階段の上、鳥居越しに日の光を浴びた拝殿が金色に輝き目を見張る美しさ。神前に進み、この日にお招き下さったこと、無事の下山に心より御礼申し上げました。

  両神山とともに(廣川班)

  妙法ヶ岳を下山する久保班


  奥宮直下のクサリ場(廣川班)

 希望者は、三峯神社と奥宮の二つのご朱印を頂き、ご神木から「気」を頂き、居並ぶ摂社末社の中から自分の心に響くご縁あるお社を拝み、日本武尊にご挨拶、まだまだ元気に「奥宮遙拝所」への階段を登り、参拝してきたばかりの切り立った奥宮の姿を目前にして、

 「わあ、さっき、あそこに立っていたのね・・・」

と、その時の己が姿を思い出し、再度手を合せました。

 

 神社でもお店でも姿を見かけなかった先頭班の皆さんは、余裕で参拝も済ませ一本前のバスに乗って帰路に着いたとのこと。相変わらずの健脚ぶり、流石です。

 

 最後に、お土産を買う人、バス停に並ぶ人に分かれ、幾人かは山麓亭の軒にずらりと下がっていた干し柿を(一寸高かったけれど)分けて頂き、更に名物も食べたいと寄り道する人の荷物を預かり足早にバス停へ。追って戻られた方からのお裾分け、熱々の「みそポテト」を串に刺して一口・・・「みそポテト」って、こんなに美味しかったのですね~ホコホコの揚げ立てお芋に甘辛味噌が絡んで、心にも胃にもしみじみと沁みる美味しさでした。何処で誰と頂くかで味も印象も大きく変わるものなのですね。

 

 この日、体力に応じたペースで歩くと、疲れず景色も自然も会話も楽しめて良いものと改めて感じました。帰りのバスで誰も眠りに落ちていなかったのは驚きでした。それだけ体力が温存できていたのでしょう。

 

山の神が笑って迎えてくださり、皆も笑って過ごすことの出来た佳き一日でした。  (おわり)                                       


      廣川班です。              小野班です。              小野班です。

*「三峯」とは、本来、三峯神社の奥宮である妙法ヶ岳、白岩山、雲取山の三つの峯の総称ですが、地図上では元ロープウェイの終点辺りに「三峯山」の名が付けられています。ややこしいですが、観光的に必要な措置なのかもしれません。

 

 ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。

 

・参加者:18名(申し込み26名、キャンセル8名)

・スタッフ:廣川(幹事)、久保(班長)、小野(班長)

・報告:廣川(26年)